志賀城 清様のお城しりとりシリーズ第3弾 

お馴染みの清様の

お城しりとりシリーズ

前回は浄福寺城だったので、今回は志賀城(※滋賀ではありません)です

 

志賀城とは武田晴信(信玄)公の信濃攻略に、最後まで抵抗を続けたといわれる、笠原新三郎清繁公が城主のお城です。

(実際に笠原新三郎公が籠城したのは、この志賀城とは特定されていないようですが)

笠原氏の身元の詳細は不明ですが、『日本城郭大系8 長野・山梨』では、村上氏に関係があった者だろうとしています。

大河の風林火山が放送された時は、多くの訪城者があったそうです。

 

 さて、志賀城を攻めてみましょう、アタック!

まず、麓にある雲興寺脇から登城します。

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西側の郭にある石積み

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4郭の堀切とそこから見える雛壇状の美しき郭

 

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主郭

 

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笹薮の中にある祠。カワイイ♥

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主郭の東の堀切

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2郭から見た主郭の石積み

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4郭の下にあるここは井戸跡でしょうか?

 

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城の東側の尾根は天然の岩盤大堀切。凄いぞ!

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近くにある笠原新三郎公の首塚

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清様、お写真&情報のご提供ありがとうございます。 

 

清様の訪城ブログはこちら

seinosuke2016blog.blog.fc2.com

 

最後はやはりななみちゃん

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もうひとかたはピー殿

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戻ってこないよ、ブーメラン 古代・中世の武器シリーズ 第5弾

古代・中世の武器シリーズ 第5弾は、みんな大好き(?)ブーメランです

 

 

【ブーメラン】     戦闘用は戻ってこない

 

 

 故西城秀樹氏のヒット曲『ブーメラン・ストリート』の影響か、ブーメランはよく知られた武器だ。「く」の字型の木製飛道具で、片方を握り、回転を与えながら投げる。回転を与えることにより飛距離を増し、的に当たったときの衝撃力も増す。主にオーストラリアの先住民アボリジニーが、鳥や小動物の狩猟および、戦闘に用いた。
『ブーメラン・ストリート』の、「きっとあなたは戻ってくるだろう」の歌詞があまりにも有名なせいか、どんなブーメランでも、投げたら手元に返ってくると思っている方も多いのではないだろうか。
 だが、すべてのブーメランが戻ってくるようにできているわけではない。本体のプロペラのようなひねりの有無により、的を外せば戻ってくるタイプのものと、命中してもしなくても戻ってこないタイプの二つに分かれる。
 戦闘に用いるのは、意外にも戻ってこないタイプだ。
 戻ってくれば、回収する手間が省ける。それなのに、なぜ、戻ってこないタイプのブーメランを戦闘用に用いるのか。
 戻ってくるタイプのブーメランは、標的に当たればそのまま落下し、外せば、投擲時とほとんど変わらぬ回転や速度のままで、ほぼ元の場所に返ってくる。これを受け取るためには、投げ手はブーメランの動きに注意を払っていなければならない、すなわち、敵に対して無防備な状態になってしまう。
 しかも、乱戦では味方に当たる可能性も高いし、受け取り損ねると、大怪我をしかねない。
 他人の言動を攻撃・非難する発言をしたのちに、自分も同じことをしていたことが発覚し、自分で自分の首をしめるような事態に陥ることなどを、主にネット関係で「ブーメラン」と称することがある。戻ってくるタイプのブーメランを戦闘に使うと、まさにこの「ブーメラン」状態のように、敵へ与えるはずの打撃が、もろに自分たちに跳ね返ってきてしまうのだ。

 

                  【了】

 

 

ラストはいつものように、ななみちゃんです

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(,,Ő x Ő,,)✨カワユス!!✨

 

 

そして、ピー殿のセクシーショット ๓(。•∀•。)๓ニャン♪

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シャムシール 古代・中世の武器シリーズ 第4弾

 チャウチュ○ルって、刀剣の名称のようだなあと思ったら、気がついたらシャムシールについて書いていました (ΦωΦ)フフフ・

 

 なにげに好評な古代・中世の武器シリーズ第4弾は

 

【シャムシール】

  イングランド獅子王を迎え撃った、「ライオンの尻尾」という名の剣

 

 

 シャムシールとは、ペルシャ(イランの旧名)の湾刀だ。ペルシャ語で「ライオンの尻尾」を意味する。のちに西洋に渡り、サーベルの起源になった。
 全長は八〇~九〇センチが多く、一メートルを超える剣も存在した。刃渡りは七五~九〇センチで、片刃である。
 最大の特長は、柄(カブザ)が刀身とは逆方向に曲がり、先端部が丸まっていることだ。この柄を「ライオンの頭」と呼ぶ。その姿は、イスラム圏の旗章にも用いられることのある美しいシルエットを描いてる。
 シャムシールは英語では「シミター」となるが、ハービー・J・S・ヴィザーズ著『世界の刀剣歴史図鑑』では、シャムシールを「ペルシャのサーベル」とし、シミターを「中東のサーベル」と区別している。
 シャムシールが誕生する以前のペルシャの刀剣は直刀であった。振り下ろして斬る刀剣の使い方に合わせて、湾刀へと変化していったのだ。(シャムシールはペルシャの刀剣の総称で、湾曲タイプと直身タイプがあり、ペルシャでは必ずしも湾刀の名称とは限らないとする説もあり)
 イスマーイール一世のサファビー朝創設を助けた戦士集団「クズルバシュ」(ペルシア語ではキジルバーシュ)も、シャムシールを武器としていた。
 十字軍の時代(1095~1291)、獅子心王(the Lion Hearted)の異名で知られるイングランドリチャード一世が、イスラムの英雄サラディン(サラーフ・アッディーン)の軍と戦ったとき、イスラム教徒軍の多くは、シミター(シャムシール)を携えていた。
 ライオンの頭をもつ「ライオンの尻尾(シャムシール)」という名の剣は、獅子王を迎え撃ったのだ。

          【了】

 

 

殺伐とした話のあとは、いつものように、ななみちゃんで和みましょう

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(,,Ő x Ő,,)✨カワユス!!✨

 

 

もうひとかた、お馴染みのピー殿は、少し体調不良のご様子だそうです

ピー殿が早くよくなりますように

(๑´ㅂ`๑)オ🌸ダイジニ...🌸

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板斧(はんふ)  古代・中世の武器シリーズ 第3弾

 

 なにげに好評な古代・中世の武器シリーズ第3弾

 

【板斧(はんふ)】 

斧の二刀流 『水滸伝』の黒旋風・李逵(りき)が巻き起こす殺戮の嵐

 

 

 二刀流というと、日本ではまず宮本武蔵の名が挙がる。今なら、ピッチャーとバッターの両方で活躍する大谷翔平選手を連想する方も多いだろう。中国では、明代(一三六八~一六四四)の口語体の長編小説『水滸伝』に登場する怪力の豪傑・李逵が二刀流である。

 二刀流といっても、李逵が操るのは刀でも剣でもない。李逵が両手に持つのは「板斧」と呼ばれる戦斧である。

 板斧は実在した武器だ。短兵器に分類され、片手で使う。柄は木製で約九〇センチ、刃は長さ約三九センチ、幅は約二九センチで、柔らかい鉄を硬い鋼鉄で包んだものだ。(『武器と防具 中国編』篠田耕一)用途は、長兵器に属する大斧(だいふ)と同じで、割ったり、叩き切ったりする。

 李逵は、この二丁の板斧を武器に戦場を暴れ回り、死体の山を築いていく。両手の板斧が巻き起こす血しぶきが、つむじ風を連想させることから「黒旋風」の仇名がついた。色の黒さから鉄牛(てつぎゅう)とも呼ばれる。

水滸伝』は、ふとしたはずみで盗賊となった宋江(そうこう)を首領とする一〇八人の豪傑が、山東省の梁山泊(りょうざんぱく)に集結して官軍に抵抗し、やがて滅びていく物語だ。『宋史』にも載っている「宋江の反乱」が脚色されて民間に流布していたのを、本来は三六人であった盗賊団を一〇八人とするなど、さらにふくらませた。

 江州(江西省九江)の牢役人だった李逵は、流刑に来た宋江を慕い、最後は宋江とともに毒酒をあおって死ぬ。

 天殺星の宿命を背負い、凶暴ではあるが、心は子どものように純粋な李逵は、数多い登場人物のなかでも抜群の人気を誇る。民衆の間ではアイドル的な存在で、元代の芝居では、李逵を主役としたものが多く演じられた。

 宮本武蔵しかり、大谷翔平選手しかり、李逵しかり、二刀流の使い手は、いつの世も人を惹きつけるものだ。

 

                〈了〉

 

殺伐したお話のあとは、いつものようにカワイイ画像で

 

お馴染みの我らが天使ななみちゃん

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こちらもお馴染みのピー殿

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清様のお城しりとりシリーズ 第3弾 浄福寺城

台風が毛利ならぬ、猛威をふるっていますが、皆様、ご無事でしょうか

 

城攻めにでかけられないかわりに

清様のお城しりとりシリーズ第3弾をお届けいたします

 

 

 

 

 

 前回は「砥石城」でしたので、「し」をとって、 東京は八王子にある浄福寺城です

 浄福寺城とは、関東管領上杉氏の守護代・大石氏の築城とされ、近年の研究では、北条氏照公の居城とも、八王子城の出城ともいわれています(下の説明板をご参照くださいませ)

 

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居館跡と云われる浄福寺

 

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本堂↑

 

 

 

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城域はかなり広く浄福寺背後の山全体が要塞化されています

 

いきなり現れる竪堀↓

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広い主郭↓

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主郭の中央には天守台のような広い土壇があり、真ん中に小さな祠が祀られています↓ かわいい (๑•̀ ₃ •́๑)👍シノブツボッタ!!⭐️

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 美しい大手虎口

 

 

このお城は、遺構を上げだしたらキリなし!

 

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清様お気に入りは、城域の北にある畝状阻塁のようです

 

清様の訪城ブログはこちら↓

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以上です。浄福寺だったので、次回は志賀城です

 

 

さて、ラストは、お馴染みの

ななみちゃん

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ピー殿

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よき日曜日をお過ごしくださいませ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清様のお城しりとりシリーズ  その2砥石城 

 

以前、このブログではすっかりお馴染みの清様から

荒戸城のお写真を頂き、ブログに掲載させていただきました

 

荒戸城ブログはこちら↓

 

その後、清様と

「お城しりとりシリーズでも始めようか」

「いいね、いいね、始めよう」

という話になったので、唐突ですが

 

お城しりとりシリーズ、はじめました(コンビニのおでんや肉まん始めましたのノリですね)

 

というわけで、

荒戸城の「と」をとって「砥石城」からはじめます(いきなりその2から始まる不思議なシリーズ)

(写真&情報提供は清様)

 

登城口にある門 ちょっと異色?

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 砥石城は少々ややこしいお城です

 何がややこしいかというと

このお城は、南から米山城砥石城→本城→枡形城の順で、城の四つの城から成る、複合型山城です。この城全体を「戸石城」あるいは「砥石城」といいます。

 お城全体は砥石城戸石城のどちらもありですが、城の1つを成す「砥石城」に関しては「戸石城」とは言わないようです。

 ややこしいでしょう?

 

というわけで、砥石城といいつつ、米山城から歩いて参りましょう

米山城は独立した見方もされてるそうで、小宮山氏の築城と云われております。

 

さて、こんな歩きやすい道を上って行くと

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左に米山城が見えます。

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米山城の最後の登りは、滑りやすいので要注意ですf:id:shinobutakahasi:20180922164732j:plain

 

    主郭↓

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中央には砥石崩れで若き信玄を追い詰めた村上義清公の碑があります。↓

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米沢城から見た砥石城↓ 

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さて、次は砥石城に行ってみましょう ٩̋(๑˃́ꇴ˂̀๑)プォ〜(ホラガイノツモリ)

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とても風情のある階段状の遊歩道ですが、泣く子も黙るほど辛いそうです。

٩̋(๑˃́ꇴ˂̀๑)ガンバルンバ-! 

 

最後まで頑張ると、はい砥石城です。真田丸の影響でここまでは多くの人が来ているそうです。

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↑このベンチに人がいっぱいのこともあるそうです 

 

 

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↑こちらは上田城方面です。

 

 

続いて本城へ↓

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馬場から見た段々の郭で構成された本城。↓

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 意外と広い郭群↓

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主郭への虎口には石積みも↓

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主郭↓

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 続いて枡形城へと向かいましょう。

 

途中で矢竹の案内。この竹を矢にした?

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堀切を越えます↓

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枡形城、登場↓

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枡形城、全体はこんな感じ↓f:id:shinobutakahasi:20180923140843j:plain

この他にも東下に内小屋があるのですが、清様はそちらには行かれなかったそうです。

 

最後になかなか撮れない、高~いところからの砥石城をどうぞ。

 

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清様、お写真&情報のご提供をありがとうございます。

しりとりシリーズ、まだまだ続きます

清様の訪城ブログはこちら↓

seinosuke2016blog.blog.fc2.com

 

 

ななみちゃんとピー殿の、激かわなお写真もどうぞ

 

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ななみちゃん、超絶にかわいい❤ ↑

 

 

↓たか様家のピー殿 青い目が綺麗です(๑•̀.•́ฅ✧�

たか(@poochandog)さん | Twitter

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戈(か) 古代・中世の世界の武器シリーズ 第二弾

 第一弾を書いたら楽しくて堪らなかったので、ストレス解消に第二弾を書きました。

 よろしければ、おつきあいくださいませ

 

【戈(か)】  「干戈を交える」の語源? 敵を引っ掛け、引きずりおろす、対戦車用の長柄武器

 古代中国の戦車は、三人乗りの二輪馬車であった。三人の乗員のうち、両側の二人が使った長柄武器が、この項目で取り上げる「戈」である。
 戈は、中国古代における代表的兵器のひとつで、長い竹か木製の柄に、やや湾曲した青銅製の刃が垂直に取り付けられている。
 なお、柄の先端に尖った両刃の穂先をつけた長柄武器を「矛(ぼう)」といい、後述する戈と矛の両方を組み合わせた穂先をもつ長柄武器を「戟(げき)」と呼ぶ。
 戈の使い方は、戦車がすれ違うときに、両手で敵の戦車に向かって刃を打ち込む、もしくは引っかけて突き刺し、戦車から落とす。
 直線的な刃の武器で突くよりも、戈のような引っかける部分がある刃のほうが命中率が高い。戦車のスピードもいかせた。そのため、戦車が軍隊の主力であった商、周(前一六~前三世紀)時代に、多く用いられた。
 出土された戈の柄の長さは、短いものでも一メートル、長いものだと、なんと三メートルにも達する。(使われなくなってからの期間が長いため、実物がどのようなものであったのかは、出土品でしかわからない)
 柄の長さによって攻撃方法は異なる。長いものは戦車の車輪および、敵の乗員を標的とし、短いものは主に戦車から歩兵を餌食にした。
 戦車戦の申し子ともいうべき戈であったが、あまりに戦車戦に適していたため、漢になって戦車戦が廃れると、ともに衰退するしかなかった。戦車戦が廃れたのちは、先述の「戟」が、唐代に儀式用の武器になるまで、主役の座に就くことになる。
「戈」の字は、後世に「干戈を交える(武器をとって戦う 戦争をする)」という言葉に残る。しかし、この言葉における「戈」は武器の総称で、戈そのものを指している訳ではない。とはいえ、総称になるほど、戈は代表的な武器であったのだろう。

                  【了】

 

 

 殺伐とした話題のあとは、かわいい♥画像を

 

フォロワーさんの大切な妹君で、私のTwitterアイコンのななみちゃんです

(,,Ő x Ő,,)✨カワユス!!✨

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