むちゃくちゃ久しぶりになってしまいましたが
何事もなかったかのように
清様のお城しりとりシリーズ第8弾、行ってみよう✧📣(•̀ᴗ•́)و ̑̑
前回は、鷲城でしたので、「し」をとって
白井城です(*Ü*)ノ"☀️
白井城は、白井長尾氏の居城で、群馬県渋川市白井(旧子持村)にありました。
白井長尾氏とは、関東管領・山内上杉氏の家老職を勤めた長尾一族のうち、白井を本拠とした一族です。
築城時期は定かでないですが、享徳の乱(1455~83年)の時期に築城されたのでは? と推測されています
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより、開城。
徳川家康の関東入府後、本多広孝が入り、その後、広孝の子・康重が城主となります。
康重は岡崎に移封となると、康重の子・紀貞が入城しますが、寛永元年(1624)に死去してしまいます。紀貞には嗣子がなったため、白井城は廃城となりました。
群馬県指定史跡です。
では、北側から行ってみましょう(((((((((((っ・ω・)っ ブーン
まずは北郭の所にある櫓台です。
櫓台から見た北郭です
三の丸と北郭を仕切る空堀です
三の丸 上の写真は東側。下の写真は本丸まで延びる農道。
三の丸と二の丸を区切る堀切。上の写真は道路の西側。下は東側です
堀切を越えると二の丸です。
そこを進んで行くと出てくる本丸との西側の堀切。にゃんと、ふ、深い ๓(。•∀•。)๓ニャン♪
そこから見た、本丸の入り口である枡形門跡です
川原石を加工しないで野面積みにしたのに良好に残っています✧📣(•̀ᴗ•́)و ̑̑
東側の堀は三日月堀になっていますが、ひとまず後回し(๑•̀.•́ฅ✧
本丸の東側の土塁を登ってみましょう (((((((((((っ・ω・)っ ブーン
綺麗な土塁が続き南側へと向かっていますね。
土塁を進んで行くと、南先端部の土塁下に笹郭が見えます٩̋(๑˃́ꇴ˂̀๑)プォ〜(ホラガイノツモリ)
笹郭から見た本丸の土塁。左側は櫓台になってる?
その辺りで見た城の西側を流れる吾妻川。遠くに見える山は榛名山です。
因みに、この川に沿って上流に進むと、岩櫃城の下を抜け鳥居峠を越えて信州へと抜けるそうです。
更に東側は利根川が流れていて、それに沿って上流に進んで行くと、沼田城の近くを通り、三国峠まで続く三国街道となり越後へと抜けます。
つまり、白井城は、二つの街道を抑える扇の要に位置する城だということだそうです
(゜ロ゜)🐚ぷおぉぉぉー!
こちらは、本丸の西側部分です。
吾妻川への崖になっているので、柵から先は危険です >*0*<キャアアッ
こちらが本丸内部!
続いて、三日月堀へと向かいましょう(((((((((((っ・ω・)っ ブーン
この辺りが、この城の醍醐味かも?
少し歩いていくと、分岐にぶつかります
そこで、歩いてきた三日月堀を振り返ってみましょう。
因みに、水が溜まっていて、遊歩道まで浸水している時もあるので、ご注意くださいませ
左が本丸で、右が二の丸だよん(ΦωΦ)フフフ・
今回は、ここまでです
まだまだ続くよ (ΦωΦ)フフフ・
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ラストは、いつものように、ななみちゃん
もうひとかたは、ピー殿