暑い日が続いてますが、皆様、お元気でしょうか。
鷹橋は、今日も元気でご飯がおいしいです(通常運転)
Twitterで遊んだり、Twitterで遊んだり、Twitterで遊んだりして、色々と忙しいですが(けっきょくTwitterしかやっていない)
実は、次の城郭検定に向けて、着実に勉強を積み重ねています(Twitter9 勉強1くらいの割合)
城郭検定にはよく出題される城があって、今日、取り上げる宇和島城もその一つです。
画像提供 たこぽん様 🦑🐙
宇和島城は愛媛県宇和島市にあり、築城の名手・藤堂高虎公が手がけたお城として有名です。
高虎の転封後は、富田氏を経て、伊達秀宗公(伊達政宗公の長子)が元和元年(1615)に入城、明治まで続きました。
2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、その天守は、現存12天守の一つです
(画像提供 たこぽん様)
宇和島城に関しての出題の一つに
「搦手口に位置する「上り立ち門(のぼりたちもん)」は、○○門としては最大級だが、その門とは?」
というのがあります。「上り立ち門」とはこちらです↓
画像提供 もえぴょん様
答えは「薬医門」です。
薬医門とは、2本の本柱の背後だけに控え柱を立て、その上に一つの屋根をかけた門で、格式は櫓門に次ぎます。
(画像提供 もえぴょん様)
城郭検定を抜きにして、私がこの城のエピソードで好きなのは
(画像提供 もえぴょん様)
不等辺五角形の外郭なのに、幕府の隠密は四角形の見取り図を描いたというものです。
四角形だと信じた攻城軍が四方包囲すれば、一方が死角になります。
(『定本 日本城郭事典』西ヶ谷恭弘氏 より)
(画像提供 moch様)
宇和島城、半端ないといった感じですね ✧📣(•̀ᴗ•́)و ̑̑
なお、画像を提供してくださったお三方、
たこぽん様 たこぽん (@takopon1120) | Twitter
は、全国各地の史跡や銅像のお写真でフォロワーさんを励まし、
もえぴょん様は♡もえぴょん♡日本史と山田くん♡ (@MoeK20060408) | Twitter
幕末を始め、豊富なお写真で詳細な歴史レポを、
moch様はmoch (@moch1514) | Twitter
かなりレアなお城のお写真を
それぞれツイートなさっておいでですので、お城好きな方にはお勧めです
(画像は、それぞれの方のものですので、無断使用はお控えくださいませ)
さて、もう1問だけ勉強しよう(←もう少し頑張れ)