御館の乱 その2

 

 暑いですね。

 あなたと越えたい40℃越とか、信じられないですね (ΦωΦ)フフフ・

 

 さて、唐突ですが、御館の乱の続きです

 その1は、武田勝頼公が帰国すると間もなく景勝・景虎の和平が破綻し、北条氏政公は本腰を入れて、氏照・氏邦両軍を、景虎救援へと向かい、三国峠にある荒戸城(荒戸城の記事をご参照ください)を落として、更に越後に入り込み、樺野沢(樺沢)城も落として、ここに本陣を置いて、坂戸城攻略に着手します。

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 というところで終わっておりました。

 この続きを

今回も清様
のお写真で辿っていきましょう(お写真は清様のものですので、無題使用はご遠慮頂けますでしょうか。よろしくお願いいたします。)

 

まず、樺野沢(樺沢)城とは、下の感じのお城です

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 樺沢城の畝状竪堀  きゃー凄い (ΦωΦ)フフフ・

 

樺沢城の本丸↓

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樺沢城の本丸跡 黄色の葉が綺麗 ✧📣(•̀ᴗ•́)و ̑̑

 

本丸からの眺め 敵陣の動きが一望できそうでワクワク (ΦωΦ)フフフ・↓

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こんな追悼碑もあります

 

 

 そして、

北条軍が狙う坂戸城、これが凄いんです

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後に 大城とか実城とか出てくるので、そのときはこちらをご参照くださいませ↑

 

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坂戸城は、登り口から頂上までの比高差450メートルと斜度45度以上が連続します。

山城攻めに慣れている清様でも、攻略するのが大変だそうです。

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坂戸城堀切 ↑

「こんな高い山にこんな堀切いらねぇだろう」清様の突っ込み

 

 

 

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主水曲輪のある尾根の先端部分。

 

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とにかく標高も高いもんだから、どこで見てもこんな感じだそうです。

 

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各所にこんな感じの段差加工された曲輪があります

 

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大城と呼ばれる大きな曲輪。

 

 

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実城と大城を結ぶ稜線の美しさ うっとり♥

 

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大城から見た実城。

 

 

 

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実城と実城からの眺め↓

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一段高い部分には富士権現が祀られています↑

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その内部↑

 

 

帰りは薬師尾根を降りたけど、ほんとに素晴らしい景色だった。(清様談)↓

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坂戸城は意外と登山者が多いそうです。

 

「こんな凄い城が、簡単におちるかぁー」というわけで

 景勝方はよく守り、また冬が近づいてきたこともあって、小田原北条勢は樺沢城に氏邦・北条(きたじょう)高広公らを置き、北条(きたじょう)景広公を遊軍として残置し撤退しました。(「ほうじょう」と「きたじょう」がいるので、ご注意を)

 

 春日山城下を撤退したこの地に残された武田勢はこの頃、春日山城・御館と坂戸城の間を当てどなく徘徊していただけでしたが、結果的に景虎方・小田原北条勢に対する抑止力となりました。 結果オーライ (ΦωΦ)フフフ・

 

 とういわけで、今回はここまでです

次回予告 

頼みの綱の兄者たちの撤退、景虎の運命は如何に (ΦωΦ)フフフ・

 

清様の北条、もとい訪城ブログはこちら

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