萌える世界史 第二弾 キャプテン・ドレーク

 

 

「萌える世界史」第一弾にたくさんのアクセス(鷹橋比)を頂いたので、調子に乗って第二弾を掲載します (ΦωΦ)フフフ・

 

 第二弾は、こちらもイギリスの海の男

 海賊といえば、このひと フランシスコ・ドレーク船長

  

 

「女王陛下の可愛い海賊は、現在もイギリスの海を守り続けている?」   

フランシス・ドレーク(一五四三年頃〜一五九六年イギリス)】

 

 フランシス・ドレークとは、船乗りであり、商人であり、海軍提督であり、スペイン人が悪魔のように恐れた海賊である。イギリス南西部のデボン州の小作農家に一五四三年ごろに生まれた。小柄だが精悍な体躯と、陽に焼けた肌をもつ、イギリスのカリスマ的な海の英雄だ。

 ドレークは、生活苦から一〇歳を過ぎた頃より近所の老船長の許で下働きをし、一五六六年には親戚であるジョン・ホーキンズの船団に加わり、奴隷貿易に従事した。ところが、ドレークやホーキンズの船団は、メキシコのサン・ファン・デ・ウロア港に停泊中に、スペイン艦隊に襲撃され、壊滅的な打撃を受けた。

「船の雪辱は船で返す。フランシス・ドレークはスペインの最大の敵となる」

ドレークは、復讐を誓いうと、大西洋に乗り出し、スペイン船や町を襲う海賊行為を開始する。スペイン人に「悪魔の化身(エル・ドラコ)」と恐れられる海賊ドレーク誕生の瞬間である。

 スペイン人から奪った船に、スペイン人から略奪した金銀財宝を積んで寄港するなど、海賊ドレークは大活躍した。スペイン大使からは「ドレークを死刑にするか、スペインに引き渡せ」と申し入れられたほどだ。

 しかし、当時のイギリス女王エリザベス一世は、別名を「海賊女王」といい、海賊行為を容認するだけでなく、陰で彼らのスポンサーとなり、戦利品によって財貨を溜め込んでいた。よって、エリザベス一世はドレークを処刑したりスペインに引き渡すどころか、一五七七年の早春には、女王自ら引見した。

 引見の際にドレークはエリザベス一世の足元に跪き、かねてからの夢であった「スペイン植民地を襲撃しながらの世界周航」の援助を求めた。

 魅力的な提案ではあったが、もし、女王が援助したとバレれば、スペインとの関係は確実に悪化する。現時点のイギリスにスペインと戦う国力はない。それでも、エリザベス一世は、ドレークにイギリスの未来をかけた。

「行きなさい、ドレーク。貴方に刃向う者は私に刃向う者とみなしましょう。ただし、スペインに捕まった時は見捨てるしかありませんよ」

「女王陛下。七つの海にかけて、故国と貴方様に永遠の忠誠を誓います」

 こうして同年の一一月、ドレークは一〇〇トンの旗艦「ペリカン」(後に「黄金の雌鹿(ゴールデン・ハインド)」と改名)を初めとする五隻の艦隊で、イギリスのプリマス港を出航した。これが、マゼランに次ぐ二人目、イギリス人で初の世界周航だ。

 ドレークらはマゼラン海峡を越えて、太平洋に出た。ペルー沖では、当時のスペイン最大の財宝船「カカフェゴ号」を拿捕し、搭載していた大量の宝石と約一八万ポンド(五〇億円以上)の金銀を手に入れた。さらに、数々の船や町を襲撃しながら、インド洋、喜望峰を経て、一五八〇年九月二六日に、ドレークは六〇万ポンド相当の戦利品を携えて、プリマス港に帰ってきた。

 財宝を奪われ、激怒したスペイン国王フェリペ二世は、ロンドン駐在大使のメンドサを通して猛抗議し、ドレークの首を要求してきた。しかし、エリザベス一世はこれを無視し、テムズ河口のデプトフォードに停泊するドレークの船を、フランスの使節であるド・マルショーモンらと共に訪れた。

 エリザベス一世は跪くドレークの前に立つと、剣を抜いた。

スペイン王が『ドレークの首を寄越せ』と申しておる」

 エリザベス一世は剣をドレークの肩に当てた。つぎの瞬間、エリザベス一世は剣をド・マルショーモンに渡すと、「騎士(ナイト)叙任」の儀式の代行を頼んだ。つまり責任の半分をフランスに担わせる形で、ドレークにナイトに取り立てようというわけだ。同時に英仏同盟の前触れでもあった。

 儀式が終わると、エリザベス一世は跪くドレークに呼び掛けた。

「立ちなさい、サー(ナイトの称号)・フランシス・ドレーク

 貧しい小作農家の息子が、女王陛下のナイトに上り詰めた瞬間だった。以後、エリザベス一世はドレークを「私の可愛い海賊」と呼ぶようになる。

 ドレークは、世界周航の収益の半分の三〇万ポンドを、エリザベス一世に献上した。この額は、イギリスの国庫歳入よりも多かった。

 一五八一年、ドレークはプリマス市長に選ばれた。一五八三年には海軍の造船監督官、一五八四年には下院議員となったが、海に呼び戻されることになる。スペインとの関係が悪化し、フェリペ二世が一三〇隻からなる無敵艦隊(インビンシブル・アルマダ)によるイギリス侵攻を開始したからだ。世に有名な「アルマダの海戦」である。ドレークは副司令官としてイギリス艦隊に加わり、指揮を採った。

 アルマダの海戦でドレークがとった戦法は、火を点けた自軍の船をスペイン艦隊に突っ込ませるという、海賊らしい荒っぽい奇襲だった。だが、奇襲は見事に成功。スペイン艦隊は四四隻を失い、イギリス侵攻を諦めたのである。

 アルマダの海戦には、ドレークの有名なエピソードが伝わっている。

 ドレークや司令長官や提督たちが丘の上でボーリングを楽しんでいた時に、予想よりずっと早くスペイン艦隊が姿を現した。まさに青天の霹靂だった。すぐさまゲームを切り上げるかと思いきや、ドレークはまったく慌てずにうそぶいた。

「長官、スペイン艦隊討伐など、ゲームの片を付けてからでも間に合いますよ」

 女王陛下の海賊にふさわしく、船上のドレークは紳士だった。降伏したスペイン船の船長に対し、「自分の手に落ちたからには、他の誰に落ちるよりも丁重に扱う」と約束したし、航海中も音楽が流れる中、紋章入りの銀食器で食事をしたという。そんなドレークの最期は、やはり船の上だった。一五九六年一月二八日、パナマの海に停泊中に、赤痢によって病死した。

 死期を悟ったドレークは、常に傍に置いていた太鼓を、イギリスで待つ妻に届けるように命じた後に、こう約束したという。

「イギリスの危機には、その太鼓を打ち鳴らしてくれ。いつでも死の世界から舞い戻り、故国を救う」

 ドレークの太鼓は現在までに三度鳴った。その都度、ドレークは別人の姿を借りて現世に舞い戻り、イギリス艦隊に勝利をもたらした。そのうちの一度は「トラファルガーの海戦」で活躍したホレーショ・ネルソン提督だといわれている。

 

                               【了】

 

ラストは、ななみちゃんの萌え画像で ↓ ななみちゃんのお兄ちゃん 

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もうひとかたは、体調が回復した途端にコマーシャルにゃんこを務めてくれたピー殿

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ピー殿のご主人たか様 ↓

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