清様のお城しりとりシリーズ 第7弾 鷲城

 

今日は悠久に続いてほしい有給の日です

最近、ダジャレに凝っているのです

下手な洒落はよしなシャレ (ΦωΦ)フフフ・

 

さて、清様のお城しりとりシリーズ、前回は箕輪城でした

↓                 

みのわの「わ」 ということで、今回は鷲城、いってみよう!

 ٩( ๑•̀o•́๑ )وエイエイオー!!

 

 

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  鷲城といっても、儂の城でもないし、和紙でできているお城でもなく、歴代城主が和詩を詠むという習わしもないです。

 と、お城だけにいい加減にといった感じの前説からはじめさせて頂きます (ΦωΦ)フフフ・

  

 鷲城跡は栃木県小山市にあります。

 築城時期は不明ですが、外堀、土塁等の遺溝が良好な状態で保存されています。

 外城と中城に分かれ、内城は東西280メートル、南北200メートル、中心部に鷲神社が祀られています。

 鷲城は住所が示す通り、小山氏の主要な居城でした。

 小山氏は、鎌倉期以来の下野(栃木)守護ので、中世下野の最大の豪族という名門一族です。

 小山氏といえば「東国最大の内乱」といわれた「小山義政の乱」(1380~1382年)のが有名ですが、その小山義政の乱の舞台となったのが、この鷲城なのです。

 

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 ↑上の写真の説明板にあるように、小山義政公が2度目に蜂起して籠城したのが、鷲城ですね

「小山義政の乱」における小山方の拠点として、この鷲城の他に、岩壺城、新々城、園城、宿城の合計5つが史料に残っているそうです。

 

 では、東国最大の内乱に、その名を冠した小山義政公は、どんな人物で、どのような運命を辿ったのでしょうか。

 

 小山義政公とは南北朝時代の武将で、通称を小四郎といいます。

1355年(正平10・文和4)に、父親の氏政(うじまさ)の死去により、家督を継ぎました。

 下野守護として活動していましたが、勢力拡大を図るにつれ、下野の名族・宇都宮氏との対立。

 1380年(天授6・康暦2)5月には、宇都宮基綱(もとつな)と争い、基綱を初め、80余人を殺害します 🔪🗡️きゃー

 

 鎌倉公方足利氏満(うじみつ)は、これを鎌倉府への謀反とみなしました。

 足利氏満は関東八か国の武将へ、義政追討の命令を下します。

 同年9月、義政は討伐軍に囲まれていったんは降伏しました。

 しかし、翌年の1381年(永徳1/弘和1年)2月に再度挙兵!

 鷲城で鎌倉府軍と戦闘を繰り広げますが、12月に剃髪して降参します(出家して「永賢」と号しました)

 ところが、翌年の1382年(弘和2・永徳2)3月、義政はまたもや兵を挙げ、糟尾山中に籠城します。

 3度目の正直といいますが、世の中甘くなく、義政は4月13日に敗れて自害しました。🔪🗡️無念🔪🗡️

 

 

 

 

 

 という歴史を何となく頭に入れたところで、アタックしていきましょう

 下の地図のような感じに進みます

 (((((((((((っ・ω・)っ ブーン

 

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  鷲城の参道を進んで行きます

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途中で左手に見えるのは、広大な中城です

 

 

 

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これが小山義政公が勧進した鷲神社で、鷲城の名の由来となった神社ですね。

 

 

 

 

神社を南に向かうと出てくる横矢の案内板

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更に降りて行くと土塁の案内板にも出会います

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今度は虎口の案内板

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どんどん降りて行ったら、小山総合公園に出てしまいました。

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少し戻って、堀底を東に向います

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土塁の上から見下ろしました

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堀底はどんどん深くなっていきます

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土塁の切れ目が登場!

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切れ目を通る道を進んでいきます

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そこから見た堀。深い藪です

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先程の道を進んで行くと、アスファルトの道に出たので、城址に沿って南下してみます。すると、土塁らしき物が出現!

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階段を上ってみると社があり、外城と書かれた石碑もありました

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その土塁の外側は、堀跡になっていて外堀という感じでしょうか。

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 更に南に進んでから、西に向かうと、これまた遺構らしきものが? さてさて、これはなんなのでしょうか

 

 

  以上です

 如何でしたでしょうか。

 

 清様の訪城ブログはこちら 

 次は「し」だぞ、清様!

 

 最後は、いつものように、ブログのアイドルななみちゃん

 

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もうひとかた、ピー殿の18禁セクシーショット

 

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