中年太りは突然に (ΦωΦ)フフフ・

誰も知りたくはないと思うのですが、鷹橋の体型の変換を公開します

 

生まれたときは、3000グラムに満たなかったと聞いてます

 

小児喘息だったせいか小学生のうちは、かなり痩せていました。

ところが、中学に入り、喘息が治ると太りだし(この頃は「健康的になった」と喜んでいた)、

 

高校生になると、ぽっちゃり型となりました(手足が細かったので、それほど太っているようには見えなかった)

 

「社会人になったら、忙しくて自然に痩せる!」と信じていたのですが

会社とはお菓子の絶えないところのうえ、飲み会で割り勘負けするのが嫌で食べまくったせいで(せこい)、順調に太り続け、

ついに「ぽっちゃりした人」という称号を得てしまいました。

 

成人式の着物姿は「どすこい」といった感じでしたが、20代後半に仕事が忙しすぎて(バブル期だった)激やせし、

嫁に行くときには、ちょうどいい塩梅?の体型となりました。

 

そのまま20年以上、体型を維持してきたのですが(太っても、ちょっと気をつけたら、すぐに痩せた)

ついにやってきました、中年太り!

ある日、気付いたら、お腹の肉がたるみ、下腹がぽっこり出ているのが、服の上からもはっきりわかるではありませんか! (゜◇゜)ガーン

おまけに、少し食べただけで、お腹が出てしまうのです(腹筋の衰え)

 

私は毎朝ヨガを30分近くやっているうえに、通勤で往復1時間以上歩いているので、太ることはあっても、体型が崩れることはないと信じていました。

 

「ちぇ、ヨガも歩くのも効果ないのかよ、だったらやめちまおう」

 とやさぐれたのですが、

「いや、やめてしまうと、もっと肥大化してしまう。ここは正念場だ」

 と決意し、ヨガに加え、筋トレを開始しました

 今は朝昼晩に100回、合計300回の腹筋体操をしています。

 すると、なんと、少しお腹が凹んできたような気がします(錯覚?)

 食べてもお腹が出なくなりました。

 

 頑張っている割には、効果が薄いような気がしますが、

 いつでも脱げるように(やめなさい)、これからも頑張ります(ΦωΦ)フフフ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はまったり派

Twitterを初めてカルチャーショックを受けたことの一つに、休日ごとに史跡や城攻めにお出かけして、夜までめいいっぱい活動し、次の日から普通に出社なさっている方が珍しくないことがあります。

私は若い頃から、遊びでも用事でも出掛けた翌日は休まないと、仕事や家事をするのがきついタイプなので、

「皆さん、お体は大丈夫なのだろうか」と心配したのですが、最近になって、

活発にお出かけなさる方は、めいいっぱい好きなことをすることで、かえってストレスが解消され、仕事や家事などへの意欲がわくようだ、ということに気付きました(遅い)

 

心身の健康には休日は外に出たほうがいいのでしょう。

ですが、私はやっぱりどんなに楽しくても、出掛けると疲れてしまうタイプのようなので、今日も家にこもって、またったりと過ごします

人生、いろいろです(ΦωΦ)フフフ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分さがし

台風がきていますが、皆様、ご無事でしょうか。くれぐれもお気をつけてくださいませ

ヽ( ̄д ̄;)ノタイフウキヲツケテ!🌀☔️💨

 

さて、タイトルの「自分さがし」です。

誰でも少しは、「今の自分は本当の自分ではない」という思いはもっているのではないいでしょうか。

 

「本当の自分などどこにもいなくて、今の自分がすべてなんだよ。青い鳥がどこにいたのか、思い出してごらん ☆彡」

 

というのが、物語や自己啓発本などの答えで、私も異論はありません。

でも、ちょっと自分が何をしたいのか、何ができるのか、わからなくなってしまったのです

というのも、私は戦国武将や合戦が好きだったのですが、最近、好きだった合戦や逸話が史実でなかったことが明らかになってきたため、ちょっと戦国時代の勉強が楽しくなくなってしまったのです。

 

新たな気持ちで戦国時代を学ぶか、それとも別の時代にするか、あるいは世界史にするか。もしくは歴史とはまったく関係のないことに手を出すか――

色々と考えてみたいと思います

 

とりあえず、城郭検定準一級と、タイピングと速読の練習と、9月からの古文書の勉強は頑張ります

(๑・ω-)~ガンバルンバ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

占い大吉 ✧📣(•̀ᴗ•́)و ̑̑

ダブル台風という、仮面ライダーV3のような天候ですが、皆様、如何お過ごしでしょうか。

 

まったく台風とは関係ないのですが

今年の2月から、自分でできる、ある占い(西洋の易占いみたいな感じ)をするようになりました。

 

その占いの結果、今日は大吉で、何をやってもうまくいく大幸運日なのですが、

いまのところ、↓以外

 

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特にツイている✧📣(•̀ᴗ•́)و ̑̑ といった出来事は起きていません。

もしかしたら、大幸運とは↑のことなのでしょうか (ΦωΦ)フフフ・

 

占いには頼らずに、自分で運をつかんでいかねばいけませんね

 

丸岡城の天守への道のりはけっこう厳しい (ΦωΦ)フフフ・

 

 日曜の昼下がり、皆様、如何お過ごしですか?

 私は、実は金曜からの三連休で、色々とやりたいこと、やらねばならぬことがあり、30分刻みの過密スケジュールを立てたのですが、

計画を立てた段階で満足してしまい、金、土は昼寝で終わりました。

 深く反省したので、今日は計画的に朝からダラダラしています(反省の仕方間違っている)

 

 一応、城郭検定の勉強はしていて、Twitter丸岡城について呟いたところ、

 

 もえぴょん様

 

moch様

 

 

れいんぼー様

の三名様に、丸岡城のお写真を送って頂きました

とっても井伊お写真なので、ブログで全部公開させて頂きます。

なお、お写真はそれぞれの方の者ですので、無断使用はお控えくださいませ。よろしくお願い致します

 

まず、もえぴょん様です。

 

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内部からの窓が、光を集めてステキですね。キラキラ☆彡

こちらの構図、センスが最高です (❀ฺ´艸`)⭐️シノブカンゲキ!アリガトウ〜!🍀

 

 

 

続いてmoch様です

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 丸岡城は笏谷石を使った石瓦で有名だそうです(moch様談)

 

 

 ラストはれいんぼー様

 れいんぼー様は、天守閣へ続く、傾斜62度の急階段のお写真をお送りくださいました

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 きゃー、怖い(; ;)ホロホロ

 

丸岡城天守への道のりは、けっこう厳しいようです。

昔の人は強かった (ΦωΦ)フフフ・

 

古文書の勉強

古文書を読めるようになりたくて、フォロワーさんのお勧めの本で勉強しています。

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本を開いたら、いきなりくずし字が出てきて、びっくり(°0°)

実は、私が読めるようになりたかった古文書とは、

よく学術書などで引用されている漢字の文なのですが、それは「候文」だということに、本を買ってはじめて気付きました (ΦωΦ)フフフ・

くずし字、まったく読めないよぉー。

 

 というわけで、来月から、月一の初級講座に通うことにしました。

 習得できる日がくるか \\\(۶•̀ᴗ•́)۶////ガンバロー

 

 

御館の乱 その3 (完結編) ※2018年9月22日 加筆いたしました

 

 

前回は

頼みの綱である北条方の兄者たちの撤退により、景虎公の運命は如何に!

というところまででした。

続きも清様↓

のお写真とともに、見て参りましょう(ΦωΦ)フフフ・

 

景虎公の頼みの綱の北条軍が撤退する中、勢いづく景勝公は家中の支持を集めていきます。そうなると、景虎側は、相次ぐ離反や落城を止められず、窮地に陥っていきます。

そして天正7年(1579)2月1日、景勝公は雪解け前の乱の収束を決心して、配下諸将に御館の総攻撃を命じます。 >*0*<キャアアッ

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小田原北条の橋頭堡であった樺沢城も奪回され、

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援軍も望めないまま、3月17日には謙信公の養父であり元関東管領上杉憲政公が和議を求める為に景虎公の長子・道満丸を連れて御館を脱出し、景勝公の陣を目指すも途中で景勝勢に囲まれ殺害されてしまいます (; ;)ホロホロ

 

御館の落城により、景虎正室は、実弟・景勝による降伏勧告を拒絶して自害し(享年24歳 若すぎ上杉)、また、他の子供達も両親とほぼ同時期に死去したものといわれます。

御館を脱出し、孤立無援となった景虎公は鮫ケ尾城を経由して

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兄・北条氏政を頼って小田原城に逃れようとします。

しかし、鮫ヶ尾城主・堀江宗親公の謀反に遭って、自害を余儀なくされてしまうのです(; ;)ホロホロ。

享年26とされます。法名は「徳源院要山浄公」。

 

鮫ヶ尾の主郭からは春日山城もよく見えるそうです。上杉景虎公も、最後にこの光景を見たのでしょうか。

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ここで、景虎公の滅亡の地となった鮫ヶ尾城のお写真を見ていきましょう。

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やたら堀切が多くて、凄いお城なのです

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↑ここは雨で降りられなかったそうです

 

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なんと、今も現役の井戸。山城に井戸は欠かせません

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お酒は、どなたかのお供え?

 

鮫ヶ尾城主郭

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二郭↓

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三郭

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米倉↓

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米倉から見た主郭↓

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越後を二分した内乱(御館の乱)は、景勝公が勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となりました。

しかし、最後まで抵抗した本庄秀綱公や神余親綱公らを攻めて最終的に乱が収束したのは、それから1年余り経った天正8年(1580年)のことであったといいます。

多くの血が流れた内乱でしたね。

これにて、このブログの御館の乱も完結とします

 

清様、たくさんのお写真をありがとうございます

 

清様の北条ならぬ訪城ブログはこちら

seinosuke2016blog.blog.fc2.cokyo

 

 

 

2018年9月22日追記

 

清様よりご指摘を頂いたので、訂正&追記をさせて頂きます

 

鮫ヶ尾城の2郭と3郭が違っていて、こちらが2郭です↓

 

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こちらが3郭です。↓

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こちが2郭に行く道から見下ろした3郭です。上の写真だとわかりづらいかもしれなせんが、別の郭だそうです

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ここからは追加情報です

鮫ヶ尾城の麓に館跡(注※景虎公の館ではありません)といわれる勝福寺があり、そこに景虎公の慰霊碑があるので、ついでに訪れるのもお勧めです

 

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 以上です

清様、お写真&情報をありがとうございます。